航空公園のあゆみ

日本の航空発祥の地、航空公園は2008年3月3日で30周年を迎えました。
この30周年記念事業として茶園をリニューアルし、飛行機をモチーフとしたトピアリーや花壇等を新設しました。
所沢航空記念公園の前身である所沢飛行機場は、明治44年4月、日本初の飛行機場として76.3haが整備され、以来、第二次世界大戦終了時までの間、わが国の航空界に多大な足跡を残しました。

大戦後はアメリカ軍の基地としてその機能を果たす中で、昭和30年代後半から熱心な返還運動が展開され、昭和46年、その努力が実って60%が返還されました。
現在は70%が返還され、国・県・市の各種施設が整備されていますが、このうち所沢航空記念公園部分は昭和47年に跡地利用計画の中で決定したもので、広さ50.2haに及ぶ県内最大級のこの都市公園は、「やすらぎの場」としての役割を果たすため埼玉県が整備した公園です。
歴史
| 年号 | 歴史 |
|---|---|
| 明治43年2月 | 臨時軍用気球研究会は所沢を飛行場用地として決定 |
| 44年4月 | 所沢飛行機場開設 4月5日早朝 徳川・日野両大尉が初飛行に成功 |
| 大正元年11月 | 大正天皇 所沢飛行機場来場 |
| 2年3月 | 木村・徳田両中尉のブレリオ式が旧松井村柿の木台に墜落 わが国初の航空犠牲者となる |
| 8年1月 | フランス航空教育団(フォール大佐以下46名)が所沢に到着 教育訓練にあたる |
| 8年4月 | 陸軍航空部が設置され、所沢に航空学校及び補給部が設置される (補給部は後に立川に移転) |
| 13年5月 | 陸軍航空学校は陸軍飛行学校となる 明野(戦闘機)、下志津(偵察機)、浜松(爆撃機)がおのおの独立して飛行学校となる |
| 昭和8年4月 | 少年航空兵教育のため東京航空学校が所沢に新設される (その後東京村山に移転) |
| 10年8月 | 所沢に陸軍航空技術学校が設立される (その後立川に移転) |
| 12年4月 | 所沢に陸軍航空整備学校が設立される |
| 12年9月 | 所沢陸軍飛行学校閉校 |
| 20年2月 | 本土決戦に備え航空整備学校閉校 |
| 20年8月 | 第二次世界大戦終結。米軍が飛行場を接収し、航空通信隊として使用後に兵站センターに改称 |
| 42年3月 | 基地全面返還運動市民大行進が行われる |
| 46年6月 | 米軍所沢基地の約60%が返還される (現在は約70%が返還) |
| 47年12月 | 所沢航空資料調査収集する会が発足 (航空発祥記念館設立のため) |
| 53年3月 | 所沢航空記念公園がオープン |
| 62年5月 | 航空公園駅オープン |
| 平成5年4月 | 所沢航空記念発祥記念館を開設 |
| 平成11年 | 彩翔亭を開設 |
| 平成20年3月 | 沈床茶園をリニューアル |
| 平成23年1月 | 飛行場ができて100年 |

